1/12 ドウカテイ900MHR
'81型、ドウカティ900MHR(タミヤ1/12)。2014(H26).09.21、完成。 <エンジンの音>
空冷4サイクル、863.9ccのL型2気筒で72ps。
イギリスの名ライダー、マイク・ヘイルウッドが1978年のマン島TTレースに長いブランクの後出走し、見事優勝したマシンのレプリカ・モデル
因みに、この'81型のベースは同社の"900SS"モデルです。
 
キットは、おおむね作り易かったですが、唯一シート・カウルがはめ辛かったです、タミヤさん。
"厚塗り小僧"の私としては、タイトな設計は苦手で・・・。

しかし、作っているとエンジンがデカイ!
単純に考えても450ccのシリンダーが2本なのだからそんなモノかと思いつつも、車体もデカイしホイール・ベースも長い。
これだけ長いと、やっぱUターンし辛いんだろうな。
でも「悪趣味と紙一重のカラーリング」や「安直なデザインが地中海的」等、岡崎かな子さん<コミック「ペリカンロード」(五十嵐浩一)>が云うまでもなく、このバイク、かなり魅力的なんだな〜。

あ、マフラーの角度が上に上がりすぎている様に見えますがこれがデフォルト。
もっとも、何か不都合があるのか、この角度のままと云う資料は殆ど見かけませんが・・・。
 
M.ヘイルウッドは1958年〜1967年のロードレース世界選手権で活躍し9回のタイトルを獲得、その間1963〜1965年と1972年〜1974年にはF1にも出場。
そして1978年〜1979年まで再びロードレースで活躍したとの記録が残っています。
 
と云う事で、F1におけるM.ヘイルウッドは−、
1963年(ロータス、ローラ)ランキングなし
1964年(ロータス)19位
1965年(ロータス)ランキングなし
少し飛んで−、
1971年(サーティース)18位
1972年(サーティース)8位
1973年(サーティース)ランキングなし
1974年(マクラーレン)10位−でした。

特に1972年はサーティースエースとして好走し、第10戦イタリアGPでは優勝まであと一歩という処まで行きました(決勝2位)。
 
今回も特に大きな改造はしていません。
メーターは、例の如くプラ板にデカールを貼ってクリヤー・コーティング。
ナンバー・プレートも!
カウルがすかすかなので、カウルの内側をタミヤのエナメルXF-7フラットレッドに塗ったのは正解でした。
ディスク・ブレーキは穴開けしましたが、拘るならもっと薄く削るのが宜しい。
バックミラーは0.2mmプラ板にMr.カラーNo.MS-01スーパーステンレスの上からクリヤー・コーティングしました。が、パーツの裏にマジックで書いてあった文字が何と!浮き出てきてしまいました。(大笑)いやあ、勉強になります。(よく見ると判ります)

尚、タンクは24Lと、とてつもなく凄いイタリアン・バディです。
 
カウルのビスは例の如く、手芸用の虫ピン(0.5mm)に換えています。
ちょっとヘビメタっぽくなりましたが、いいの!これで!
サスペンションに付く"マルゾッキ"のデカールは何故か3枚しかなく(サスは4本ですよ、タミヤさん)、アルプス・プリンターで自作しました。

後はカウルのツヤに拘りました。
マスキングにサランラップを使いカウルのクリヤーが溶けたり、カウルに虫ピンが刺さり大きくクリヤー層が剥がれたりしてもめげずに修復、ひたすらコンパウンドで磨いていた思い出しかありません。
 
今回の悪のり!
ウインドウ部品が接着剤で"もわ〜っ"となるのが嫌なので、実車の様にピンでカウルに留めました。
まずマスキング・テープでウインドウ部品をカウルに固定。そしてウインドウ部品に付いているピンの頭(7箇所)からカウルに0.3mmのピンバイスで穴を開けます(細心の注意を払いましたが、私は2本折りました)。
そこへ一番細い昆虫標本用の針00番(0.3mm)を通します。そして、外形0.65mmの芯を抜き1.5mm程に切ったシリコン・コードを通し、ピンセットでカウルの縁まで押し込みピンを半分ほどカットして仮止めしておきます。
それを7箇所行い、最後にきつめにコードを押し付け、瞬間接着剤で点付け固定後、残ったピンをカットして終わり。
ちょっと小さすぎて見辛いですが、綺麗に止める事が出来ました。

使用カメラPentax k-x、2014.09.24、撮影。
 
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