"上撰 原酒 灘一"
今回は兵庫県西宮市にある松竹梅酒造株式会社さんの日本酒ブランド"灘一"は、原酒上撰、その名も"上撰 原酒 灘一"です。
え? 松竹梅酒造株式会社さん・・・?

こちらは先日西宮郷散策でお邪魔した酒蔵さんの中の一つであります。
西宮郷にも勿論色々な酒蔵さんがある事は承知しており、今回の一番の目的は同行したaiちゃんが欲しがっていた白鹿さんのピンクの鹿のイラストが描かれたお猪口を手に入れる為、そして与えられた時間が短い為限られた時間内で周れるルートを考えた結果こちらの酒蔵さんが浮上したのでありました。
残念ながら鹿さんお猪口は売り切れでしたが、今回の酒蔵訪問ではそれ以上の貴重な体験をさせて頂きました。

今回の酒蔵さんは、あの"松竹梅"の・・・?
今からご説明致します。
こちらの酒蔵さんは、1884(M17)年10月、(初代頭首?)井上信次郎氏によって、魚崎郷で個人経営の酒造業として創業、代表銘柄は"鶏鼓"、"桔梗政宗"(いずれも何と読む?)。
1924(T13)年春には松竹梅酒造となり、トロリとした喉越しの濃厚酒である"松竹梅"(とその銘柄)が誕生。
1933(S08)、経営困難に陥った井上氏を支援する為、宝酒造が支援をし松竹梅酒造株式会社を設立、一時醸造石数9,000石にも達する、量、質共に屈指の酒造会社になる。
しかし、1939(S14)年〜1945(S20)年の第二次大戦の諸影響によって清酒の醸造は中止に。
1947(S22)、当時の創業者野田博が尽力し宝酒造グループから独立、新たに松竹梅酒造株式会社を設立、しかし"松竹梅"の銘柄(と製法?)は宝酒造に残る。
それは兎も角、松竹梅酒造株式会社の再復活はなされ、同時に井上信次郎氏は最高技術顧問として後進の指導育成にあたり、醸造秘術を技術者に伝授する。
1995(平成07)年阪神・淡路大震災にて被災し酒蔵は全壊、醸造休止に追い込まれ生産規模の縮小を余儀なくされるものの、現在は醸造を他の蔵(どこでしょう?)に委託し瓶詰めのみを自社で行いと今も酒造りを続けておられる、とこんな感じの経緯であります。
整理すれば"灘一"は松竹梅酒造が、そして宝酒造が"松竹梅"を、今はそれぞれ別々に造られていると云う事です。
とは云え、昔井上信次郎氏が造ったとろり濃厚の"松竹梅"のノウハウは既に宝酒造も持っているので、両者の味の系統は同じ路線である事は充分考えられます。
これは今後宝酒造の"松竹梅"を手に入れて検証する必要があるでしょうね。
「えーっ、"松竹梅"を買うの〜?」<女房のツッコミ>
ゴホン! 以上、"松竹梅"問題のレポートでした。

それでは頂きます上撰 原酒の"灘一"頂きます。
グラスに注ぐと"うっすら"色が・・・、それよりも"とろっ"とした感じが気になります、これは美味しい予感!
香りはほぼありませんが、口に入れるとまったり濃厚! その中に華やかな甘味が口一杯に広がります。それも甘すぎない爽やかな甘味がまったり感の中にたっぷりあるのです。
アルコール20%ですがガツンと来る感じはなく、ひたすら優しい甘味が舌にまとわり付くと云えば良いでしょうか。
これはまた存在感溢れる個性豊かなお酒ですわい。こんなに美味しくても上撰なんですよ、コレ!
口当たりが良いのでついつい飲み過ぎてしまいますから、傍らにチェイサー(お水)はお忘れなく。
飲んだ後にちょっとコクが感じられますのでこれは山田君(「山田錦」)が入っているのかその辺の記述はありませんでしたが、井上信次郎氏が造ったとろり濃厚なお酒に大満足の56才の夜でありました。
(うぃ〜っ)

因みに、こちらの松竹梅酒造さんの(お店)も小さいです(汗・・・)。
最初はその場所が判らず、何度も通り過ぎてしまいました・・・。
ようやくオシャレなお店()を見つけましたが、なにかプレハブの様な感じが・・・。
でも、いいんです。こちらは関連会社として不動産賃貸管理業松竹梅産業株式会社さんも設立されておられますので小さくてもやっていけるのです(いいのか、そんな事云って!)。
誠に大きなお世話的話でありますが、飲兵衛としては例え小さくても酒蔵さんが安泰ならばこんなに嬉しい事はない!
本当、大きなお世話でありました、失礼!

使用カメラiPhone6s、H30.09.24、aiちゃん撮影。
 
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